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FUTABA+のあかさたな

FUTABA+京都マルイ店の本と雑貨とそれ以外

3月15日 懐かしい憧れ 

はだか

スタッフ間で共有している連絡ノートに
【FUTABA+KYOTOの6×3=18】の今月10日更新分のテーマとして
「さよならの勉強法」という言葉が書き込まれているのを目にして、
真っ先に思い浮かんだのは谷川俊太郎の「さようなら」という詩だった。
それは『はだか』という詩集の冒頭に収められている。

久しぶりに懐かしくその詩集を家でぱらぱらと捲っていると、思いがけず
その最後に収められている詩にがつんとやられてしまった。
この詩集を最初に手にしたときにも当然読んでいたはずだけれど、
「さようなら」ほどは当時の自分にとって切実に響かなかったのかもしれない。
忘れていたそれ、はこんな詩。


   とおく

 わたしはよっちゃんよりもとおくへきたとおもう
 ただしくんよりもとおくへきたとおもう
 ごろーよりもおかあさんよりもとおくへきたとおもう
 もしかするとおとうさんよりもひいおじいちゃんよりも
 ごろーはいつかすいようびにいえをでていって
 にちようびのよるおそくかえってきた
 やせこけてどろだらけで
 いつまでもぴちゃぴちゃみずをのんでいた
 ごろーがどこへいっていたのかだれにもわからない
 このままずうっとあるいていくとどこにでるのだろう
 しらないうちにわたしはおばあさんになるのかしら
 きょうのこともわすれてしまっておちゃをのんでいるのかしら
 ここよりももっととおいところで
 そのときひとりでいいからすきなひとがいるといいな
 そのひとはもうしんでてもいいから
 どうしてもわすれられないおもいでがあるといいな
 どこからかうみのにおいがしてくる
 でもわたしはうみよりももっととおくへいける



普段は日常生活にまぎれて押し隠されているけれど
年齢を重ねれば自然と理解されてしまう、
過ぎ去っていった時間、これから過ぎ去っていくであろう時間の感覚が
一行ごとに襲い掛かってくるような詩だ。
そうは言ってもまだ齢三十にも満たないような若輩者では、
その詩世界に実感として追い付けるのはまだまだ先のことではないかとも思わされる。

けれど、若いころに自分につよく効力を発揮した一冊の本がいまだに、そしてこれからも、
読むたびごとに違ったかたちや表情でその効力を自身に対して発揮するであろうことを
実感したり予感することができるのは、時間を経た再読の醍醐味だな、
なんて当たり前のことをあらためて。


(Y)

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