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8月5日 誰かの願いごと 

短冊


旧暦の七夕に合わせて京都市内の各地で様々なイベントが催される「京の七夕」。
京都マルイでも願い事を書いた短冊を吊るすことのできる笹が一階四条通沿いの特設会場や六階のパブリックスペースに用意されていて、すでにたくさんの短冊が果実のようにぶらさがっている。
イベントごとは苦手で七夕にみずからすすんで願いごとを書いたことは一度もないけれど、誰かの書いた願い事を読むことは楽しい。
それは、みうらじゅんのムカエマ的な文脈で「なぜそんなことをわざわざ・・・」とツッコミを入れながらおもしろがることが楽しい、という意味でももちろんそうなのだけれど、シンプルで、言ってしまえばどこかありきたりで、あるいはあまりに個人的で文面だけでは意味が読み取れない願いごとであっても、手書きで書かれた他人の願いごとというのは、どれもがたしかに誰かに書かれた痕跡として、とても純粋で個人的なものに思えるからかもしれない(たとえ不純なことが書いてあっても、不純であるという純粋さ、が書かれた字からは感じられるような気もするから不思議だ)。

そういえば忘れられない「誰かの願いごと」というのがひとつあって、それは何年もまえに働いていた接客業の職場で笹に吊るされてあった短冊で、小学校も低学年であろうたくさんの子どもたちの「カブトムシがうんぬん」「スポーツ選手がかんぬん」という、言ってみれば何とも子どもらしい願いごとがたくさん吊るされたなかに混ざって、それもまた子どもの字で、けれどしっかりと『ことばの先生になりたい』と書いていたものがあった。
それを見たとき、思わず声に出して「すごい!」と言ってしまったのだけれど、それを見て咄嗟に「すごい!」としか言えない自分をぜひ最初の生徒にしてほしい、とその時すかさず思ったことを、笹に吊るされた短冊を見るたびに毎年思い返す。それを書いた本人はもうとっくに忘れているかもしれないのに、それを見た自分は来年もきっと笹に吊るされた短冊を見てそのことを思い出している気がする。

(Y)

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