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8月30日 くちばしにチェリー 

ゼリー

冷蔵庫にはゼリー!(言いたいだけ)




遅く起きた休日の昨日は午後から京阪電車に乗り大阪へ、この週末で終わってしまう「堂島リバービエンナーレ 2015 Take Me To The River-同時代性の潮流」展を見るために堂島リバーフォーラムに。
すぐそばを流れている堂島川を横目に、「川の流れ」を現代的な比喩として捉えた15組の現代アーティストの作品が地上三階地下一階の4フロアで展示された会場には、午後三時くらいには余裕を持って入っていたはずのに、ふと気付けばもう閉館時間の七時になっているような内容の充実ぶり。
現代アートは興味こそあるものの、なかなか日常的に時間をとってその展示をじっくり見る習慣がないまま来てしまったけれど、時折こうして触れる機会があるとやっぱり楽しい。そのたび思うのは、アートの現場ではそもそも自分がその世界のことをよくわかっていないことにくわえて、その説明のなさや明確な意味の取れなさゆえに、つねに目の前にある作品に対して、ただ見る、ただ聴く、ただ触れる、ただ身をあずける、というように自分を投げ出していく必要に迫られる、ということ。そういうふうな態度や体勢に自分を持っていく機会というのは、普段の日常生活はなかなか許してくれないけれど、アートの展示空間はむしろ普段の日常の緩慢で散漫な態度を許してくれない。と同時に、身をあずけるようにしてその場所で自由に振舞う態度を少しでも体得してしまうと、いかに普段の日常生活の身体が社会的な制約のもとで不自由になっているかということをあらためて思い知らされる感じがする。白く輝くデジタルデータの絨毯のうえで楽しげに声を上げて走りまわる子どもの圧倒的な正しさ!
作品の意義やコンセプト以前に、そういうことに気付くだけでも、じゅうぶん楽しい(というか、詳しくないのでそういうふうにしか楽しめない)。

エクストリームな状態に一度自分を置いて、あらためて現実を見直したとき、その見え方があきらかに変わっているというのは、普段からの本を読んだり映画を観たりという行為によってももたらされるもので、終りのない読書や映画館の暗闇でただひとつの画面を二時間見つめ続けることのうちに期待しているものと同質のものが、アートの場でももたらされるのだという至極当たり前のことをひさしぶりに身をもって実感した、よい週末。



堂島ビエンナーレ


(Y)

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