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10月14日 旧グ邸でテニスコーツ 

グッゲンハイム


このあいだの日曜は神戸塩屋の旧グッゲンハイム邸でテニスコーツとTAPEのライブを。
キャリアも長いので何枚かはCDも持っているけれど振り返ればこれまでライブを見たことがなかったテニスコーツは、もちろん好きでここ数年はとくに新譜が出るたびに聴いてはいたけれど、たとえば好きなミュージシャンを問われて真っ先にその名前が出てくるわけでは全然なくて、けれどこのユニットに愛を傾ける信頼の置ける音楽好きはやたらと周囲にはいたりして、きっと一度はライブを観なければ、と思い始めてもう数年来、という感じだったのだけれど、いざそのライブを目の当たりにすればどうしてこれまでそのライブをスルーしてきたのか、過去の自分を呪いたくなるほど素晴らしく、過去の自分を呪いたくなる、というのは言葉の綾で本当にそんなことを思ったりはしていなくって、やっぱりこのタイミングであらためて出会えたことを単純に嬉しく思った。
いまこの場所で音楽が奏でられている、奏でられつつある、ということをその場で強烈に感じさせてくれるライブというのはじつはそんなに多くない気がしていて、どうしてもライブはCDに録音されたものの再演めいてしまうし何より聴き手がそれを音楽家に望んでしまう、というのはしばしばあることで、そうするとCDや録音されたものこそが完成型できれいな形でその音楽のほんらいの姿でライブはそれを追体験する場、という風にどうしても捉えられてしまいがちだけれど、きっと音楽がそうして作品重視的に作られるように聞かれるようになったことと「音楽そのもの」とはまるで関係ないんじゃないか、音楽はその都度その都度あたらしく演奏されて更新されて進化し変化していくのが自然なかたちなんじゃないか、あるいは音楽ははじまりにおいては、椅子に座って体を硬直させて神妙な顔で黙りこくって有難がるように聴くものじゃ全然なくって、もっと気楽で、演奏者と観客の境目もあいまいに、音楽の場所に誰もが出たり入ったり自由にできる、好きなように体を動かし声を出し音を出してそれが延々続いていくうちにやがて朝が近づいて人々は離散していく、というようなものだったんじゃないか、ということを聴きながらふと思わせてくれるような、その場の空気とともにある音楽をテニスコーツは奏でていたのだった。そこにはきっと、音楽家と観客とを峻別するようなステージを持たない旧グッゲンハイム邸の、場所がもたらす力も大いにあったんじゃないかとも思う。とにかく楽しくて、帰りの電車でわたしはしきりに「音楽は聴くよりやるほうが楽しいに決まっている」とぶつぶつ何度もつぶやいた。
海の近く、秋の夜の涼しい風をうけながら音楽に包まれて心地よい時間を過ごした日曜のはなし。


(Y)

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